心に棲む魔物

たとえば、車を駐車場に入れているとします。自分が入れようとするスペースの左右にはすでに車が停まっていて、それらの真ん中に自分の車を入れる場合。誰も乗っていないと思っていた、その左右の車に人が乗っているのを発見した時、思わず緊張したり、リズムが崩れることはないでしょうか?隣接する車に誰も乗っていなければ何の問題もなく駐車できるのですが、それらの車内に人が居るのがわかったとたん、「ぶつけてはいけない」というプレッシャーに苛まれる時が。ぼくには、あります。そんな時「これがぼくの心に棲む【恐怖】という名の魔物なのか。」と思ったりするのです。その魔物が顔を出した時、ぼくはいつも技術よりも先に己の弱い心を鍛える必要があるなあ、と感じます。その他、例えば渋滞している道路を調子よくバイクですり抜けしている時に、前方にメルセデス・ベンツがいた時などにも同じような感覚に襲われます。今まですり抜けてきた幅と同じ幅が空いていても、それが「ベンツの横」というだけでぼくには狭く感じられるのです。




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華子の死

2005年7月10日、華子が永眠しました。
13年9ヶ月と半月、ずっと一緒に過ごした猫です。ぼくが留守のとき以外はまいにち一緒にお風呂に入って(華子はお風呂のふたの上で寝転んでいるだけだったけれど)同じ布団で寝て、文字通りずっと一緒にいた猫です。家にいるときは必ずひざの上に座ったり、背中に寄り添うようにもたれたり、そうでなくても必ずお互いの存在を確認できる位置にいました。いつもぼくの視界の中にいたので、家にいるときに華子の姿が少しでも見えないと心配になって家中を探し回ったものです。
食事療法によりすこし回復したかに見えた華子ですが、華子の時計は確実に「死」へのカウントダウンをはじめていて、いかなる手段をもってしても、それを止めることはできませんでした。ぼく自身も含め、全ての生物は生まれた瞬間から確実に「死」へ向けて進んでいて、それは疑いようの無い事実です。



 
華子はひどくいじめられていたところを、ぼくが拾ってきた猫です。それ以来、ずっとぼくの傍にいてくれました。約14年の間に5回引越しをしましたが、どこへでも文句ひとついわずについてきてくれて、病気ひとつ怪我ひとつせずに過ごしてくれました。華子はとても心配性で、ぼくがくしゃみをしただけでも声をかけてくれて、よく心配してくれました。ぼくの言葉もよく理解していて、触ってはいけないよ、と言ったものには触ろうとしませんでしたし家の中で失くしたものを伝えておくと翌日には探して持ってきてくれたりしました。とても賢い猫で、ぼくは今までにあれほど賢くて優しい猫を見たことがありません。
 
死んでしまう最後の3日あたりには、目に見えて生命が磨り減ってゆくのがわかりました。それまではかろうじて自分の足で移動できていたのに、その数日は2,3歩進んでは倒れ、また立ち上がっては2,3歩進む、という状態を繰り返します。体はあきらかに弱っているのですが、「どこかへ行こう」という強い意志が感じられました。よく見ていると、ぼくが立ち上がってどこか(トイレや、お風呂や、顔を洗ったりするのに)へ行こうとすると、華子もよろよろと立ち上がり、ぼくの後を追おうとするので、その日からぼくは移動するときにはタオルにくるんだ華子を一緒に持ってゆくようにしました。ねえ華子、なにも心配いらないよ、手を握って背中を撫で、そう声をかけました。時を同じくして華子は今までは行かなかった場所、たとえばソファと壁の隙間や、ぼくが以前作った段ボールの華子の家(今はトマトが占有してしまっている)に入るようになりました。
このとき、すでに華子は死に場所を探していたのかもしれません。
死んでしまう2日前、ぼくは外出する用事があったのですが、事情によりその用事がキャンセルになりました。今思えば、それは天がくれた機会のように思います。昨日まではときどきぼくに応えるように鳴いていたのに、その日は思うように声を出せないようでした。スポイトで水を飲ませ、予定していた用事がなくなったぼくはずっと家にいて、ソファの上で寝たきりになった華子といろいろな話をしました。今まで言えなかったこと、言いたかったこと。あんなに長い間華子と話をしたのははじめてだと思います。話し終えた後も、ぼくは華子の様子をときどきうかがって、無事を確認しました。このころになると、少し前までは名前を呼ぶと尻尾を振って応えてくれていたのに、その元気すらなかったようです。ぼくは華子を疲れさせたくなかったので華子の名前を呼ぶのを止め、その後はできるかぎりそっと見守るようにしました。
そして、1日前。その日も華子をタオルにのせて一緒にお風呂まで連れて行って一緒に入り(華子はふたの上)、その後寝室まで運んで一緒に寝ました。常に状態を確認できる状況です。
華子を寝かしつける前に、ねえ華子、辛いんだったらもう無理しなくてもいいよ、今までありがとう、寂しくなるけどぼくたちのために頑張る必要はないんだよ、そう言ったのがぼくと華子の最後の会話でした。
なかなか寝付けず、やっと眠りに落ちたぼくは日付が変わった夜12時45分に目を覚まします。華子の爪が床にあたる、かちゃかちゃという音、続いてどたり、という倒れる音が聞こえたからです(すっかり痩せこけてしまい、床に体が当たるとき、骨を打つ音がして痛々しい)。ここ数日はいつもそのようにして倒れこんでいたのですが、様子を見ずにはいられません。華子は床に倒れていて、どうやらトイレに向かおうとしていた途中だったようです。華子は潔癖症なので最後まで自分のトイレで用を足そうと思ったのでしょう。ぼくもそれを知っていたので、いつでもトイレに行けるように華子の目の前にトイレを設置しておいたのです。華子を手伝おうかとも思いましたが、華子はそれを嫌うことも知っていたので、ぼくは華子を少しだけ撫で、気をつけてね、と言ってまた横になりました。それからどれくらいの時間が経ったのかはわかりません。部屋の空気が冷たくなり、吐き気がしたのを憶えています。それは今までには無い感覚で、食あたりとも消化不良とも異なる感覚です。とっさに「ああ、華子もいつもこんな苦しさなのかな。華子大丈夫かな」そう思って起き上がり、華子の様子を見ました。華子はもとの位置に戻っていて、華子の手を握るとあたたかく、力は無いものの、お腹が呼吸にあわせて上下しているのがわかります。できればかわってあげたい、ぼくは苦しくても病院に行って症状を説明できるし、手術すれば治るかもしれない。でも華子は、どう苦しいのか説明することができず、症状を把握するまでに体力がもたないかもしれない。その後も何度か起きては華子の無事を確認し、眠りにつきました。
 
再び同じような悪寒に襲われたのは朝の6時20分ころ。ぼくはベッドを起きだして華子の様子をうかがいました。華子はもう息をしていなくて、いつもと同じ、眠るときと同じ格好で横たわっていました。この数日、華子はぼくに心配をかけまいと元気に振舞おうとしていたのがわかっていました。そして、今日には華子の命が尽きてしまうことも。ぼくはすでにある程度の覚悟をしていて、華子が死んだらお疲れさま、もう苦しまなくても済むね、そう声をかけてあげようかと思っていましたが、いざ抜け殻になってしまった華子を腕に抱くと声が出ません。華子はまだあたたかくて柔らかく、下に敷いていたタオルには少し尿を漏らした跡がありました。華子は避妊手術後の麻酔が効いた状態を除いては必ずトイレで用を足していましたが、最後はトイレに入る力が無かったようです。
気にしなくていいんだよ、ちっとも構わないんだよ、トイレなんてどこでも良かったのに、無理する必要なんてなかったのに。
 
ぼくは華子をタオルにくるみ、階下に下りてもう一枚バスタオルにくるみソファの上に置きました。華子はとても安らかに見え、まるで眠っているかのようです。今でも名前を呼ぶと尻尾をふってぼくを見上げそうでした。しかし、華子の目はもう二度とぼくを見ることは無く、尻尾も動くことはありませんでした。せっかく病気から開放されたのだから笑顔で華子を送り出してあげよう、そう思っていたのに出てくるのは涙ばかりです。ぼくは土曜日・日曜日以外は休みを取れず、平日は日中一緒にいてあげることができません。華子は最後までぼくに気を遣い死ぬタイミングをはかって、ぼくが休みの日に最後にぼくと華子が話をする時間をつくり、その晩、それもぼくが華子の無事を確認して眠ったのを見てから安心して息をひきとったのだと思います。華子が息をひきとる最後の瞬間を看取ってあげることができなかったのはとても残念ですが、ぼくが眠っているときに安らかに死んでしまったのは、きっと華子がそうしたかったからなのでしょう。華子は、ぼくを自分の息子のように感じていたようなので、ぼくを心配させたり混乱させたくなかったのかもしれません。
 
ぼくは、葬儀会社に電話をして華子を焼いてもらう手続きをとりました。まだ早朝でしたが24時間対応してくれる葬儀屋さんが近所にあり、そこへお願いしました。もう少しだけ、華子と家族と一緒に過ごそうかと思いましたが、あと数時間もすると近所は人の往来ができます。華子は他の人間を警戒するので、できれば華子が他の人を見なくて済む時間帯に葬儀屋さんへ連れてゆきたかったのです。服を着替え、最後に華子と一緒に写真を撮って、ぼくは葬儀会社へと出かけました。
 
葬儀会社からは生前の愛用品などを一緒に持ってくるように言われましたが、いざ持ってゆこうとすると何が良いのか思いつきません。華子が死ぬ前から葬儀の段取りをするのは、まるで死を待っているような気がして、わざと準備していなかったのです。ぼくは、華子に「そうだね、何がいいだろう?」と声をかけながらひとつひとつ、いっしょに天国へ送る愛用品を選びました。猫缶、シニア用のドライフード、ハブラシ(歯磨きが好きだった。ぼくが歯を磨いた直後の歯ブラシでいつも歯磨きをしていた)、タオル(敷物にもなるし、丸めて枕にもなる)、ハンカチ、お金(買い物をするのに困らないように。万が一も無いと思うけれど、地獄へ間違って行ってしまっても「地獄の沙汰も金次第」というのでお金を持たせた)。ぼくと華子、家族の写真(ときどきはぼくたちを思い出してくれるように)。
 
ぼくは、葬儀屋さんへ華子をそっと運びます。いちばん良い桐の棺おけに入れてもらい、花も添えて、折鶴を家族分入れ、棺おけに最後のメッセージを書きます。棺おけに入った華子は、まだ生きているかのようで、もしかすると生き返るんじゃないか、という期待をぼくに抱かせました。苦しんだ様子も無く、ほんとうに安らかな顔をしています。もしかしたら華子自身も死んだことに気づいていないかもしれない。そう思いながら、良かったね、これで病気に悩まずにすむね、天国へ行けばまた自分の足で元気に走れるね。また美味しいものをたくさん食べることができるね。そう声をかけながら、華子とお別れをし、華子を焼く釜へ華子を入れ、手を合わせました。目の前で華子は焼かれてゆき、大丈夫かい、熱くないかい、でももうちょっとだよ、何も心配いらないよ、ぼくはずっと心の中でそうつぶやいていました。
 
釜からでてきた華子の遺骨は真っ白で、まるで人工的に復元した恐竜の化石のようにしっかりとした骨格を保っていました。患っていた内蔵のあたりと思われる場所が黒く焦げていて、最後は排便するための力すら残されていなかった為、排便できなかった便も燃えかすのようにお腹のあたりに残っていました。そのほかはほんとうに真っ白で、ぼくは思わず、死んでしまってもきれいなままだね、と声をかけそうになりました。
薬で延命をした猫は薬が結晶のように残ったり、骨が崩れたりすることがあるそうですが、華子の骨はとても健康そうに見えて、ぼくは少し気が楽になりました。
お箸でひとつひとつ華子の骨を拾い、骨壷へ入れます。骨壷へ入れると華子の骨は、からん、と乾いた音を立てて、それはひどくぼくを空虚な気持ちにさせました。ずいぶん長い時間をかけてひとつひとつ華子の骨を骨壷に納め、最後に残った灰も刷毛を使ってきれいに骨壷に入れます。さあ、おうちに帰ろう、そう言って華子の遺骨を持って葬儀屋さんを出たものの、あんなに柔らかくて美しい毛並みを持った華子はもういない、そんな耐え難い喪失感がぼくを襲い、そして骨壷を持って帰る途中の車の中で段差を乗り越えるたびに聞こえる、骨壷のふたが立てるかたかたという音も、華子がもう肉も毛皮も無い、骨だけになってしまったという事実を冷たく突きつけました。
納骨される方も多いのですが、ぼくは納骨せずに全て華子の骨を持って帰りました。華子は人見知りしますし、なんといってもどうぶつが嫌いです。他のどうぶつの遺骨と一緒に並べて暗いところに置いておくことはできません。大好きだった座布団の上に遺骨を置いて、家族と一緒の場所でたいせつに保管するためです。
 
葬儀屋さんの話によると、死んでから七日間(初七日)は天国への旅立ちの準備をする期間だそうです。ぼくは、家へ戻ってから骨壷をいちばん見晴らしの良い、ぼくたちをいつでも見ることができる場所へ置きました。それから、水と食べ物を供え、暗くても困ることがないようにろうそくを灯しました。それから大好きだったプリッツを買って遺骨の前に置き、花を飾りました。骨壷には華子がたいせつにしていたマスク(なぜかマスク。理由はわからない)を入れました。マスクは焼いて一緒に天国へ送ってあげようかと思いましたが、お盆などに華子が戻ってきたとき、自分の場所がわかりやすいように、遺骨と一緒に置いておきました。
 
その晩、ぼくは天国へ旅立つ華子のために旅の準備をしました。ろうそくだけでは心もとないので、玉切れの無いLEDライトも持たせてあげようと用意しました。残されたトマトは、少し不安そうです。トマトはこの家に来てからずっと、華子がいる生活しか経験していないのです。どこを探しても、いつもいるはずの華子がいないので戸惑っていいる様子です。
ぼくはトマトを抱き上げ、「華子はね、天国に行くんだよ。もうこの家にはいなくなるんだ。だから、華子のために旅支度をしているんだよ」と言いました。トマトを床に降ろすと、トマトはそれでも華子を探すように辺りをきょろきょろと見回しながら部屋を出て行きました。そしてその日、はじめてトマトはとかげを捕まえました。トマトが狩りをするのはとても珍しいことです。トマトはそれをぼくに見せ、ぼくを見上げます。華子のために捕まえてくれたんだね、そう言うとトマトは恥ずかしそうにもじもじします。残念ながらそのトカゲはまだ生きていたので逃がしてやり、トマトが切ったとかげのしっぽだけを華子の遺骨の前にお供えしました。トマトが捕ってきてくれたんだよ、保存食だね、良かったね、そう言いながら。
旅立ちまでまだ6日あるので他に必要と思われるものをこれから集めようと思いますが、とりあえず旅に必要なものとして他に小さなバッグ、携帯電話、コンビニ袋、車のキーをお供えしてあります。
 
 
何が辛いか。
それは、結局何もしてあげることができなかった自分や、もっと一緒にいて、もっといろいろな話をすればよかった、そういった悔やんでも悔やみきれない後悔。そして何よりも、華子がどんな気持ちでまいにち過ごし、ぼくたちに何を求めていたのか。果たしてぼくたちは、それに応えることができたのか。病気になってからの華子の苦しみ、ぼくたちに心配をかけまいと気丈に振舞う華子の優しさ。最後の瞬間、華子を抱いていてあげることができなかった悔しさ。
 
朝、ベッドで目が覚めると、いつも枕元か足元にいて、撫でると気持ち良さそうに喉を鳴らしていた華子。
置きだして顔を洗おうと洗面台に行くと、必ずついてきて洗面台から水を飲んだ華子。
夜、家に帰ると必ず迎えに来てくれた華子。
お風呂に入ると一緒にやってきて、畳んだふたの上でいつも暖をとっていた華子。
ぼくが歯磨きをした後に、同じ歯ブラシを使って歯を磨いた華子。
夜、ベッドに入るとすぐにやってきて、寒い夜に暖めてくれた華子。
そんな華子がもういない、という耐え難い現実。
 
夜になってベッドに入って目を閉じると、とてつもない孤独を感じます。手や足をのばせばそこにいた華子はもういなくて、そこにあるのは空虚な空間です。たとえ手や足に触れなくても、生前は「華子がいる」というだけで安心して眠ることができましたが、今はそれもできません。まるで部屋の温度が1〜2度下がってしまったような違和感を覚えます。
ぼくにとってはとても辛いことだけれど、華子にとっては病気の苦しみから解放されてきっと良かったんだと考えています。これから天国へ行って、痛みや、苦しみや、飢えから解放されて平和に暮らせるので喜んで送り出してあげよう。天国で少しゆっくりして、また生まれ変わって戻ってきてくれたらいいな、とも思います。もう形としての華子はいなくなってしまったけれど、あの柔らかい毛皮に触れることはできないけれど、あの暖かいからだを抱くことはできないけれど、きっと華子はぼくたちを見ていてくれて、だからこそあまりに悲しむのは華子を困らせることになる、と考えて、とても辛いですが少しづつ前に進んでゆこうと思います。
 
感謝の気持ちを込めて、そして華子の平穏な旅路と天国での生活を祈って。


 
 
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華子の異変に気づいたのは2004年の年末頃。体重が少しづつ、しかし確実に減り始めたのです。それでも元気に過ごしていましたし、体重以外は何一つ変化が無かったので「歳のせいかな」、と考えていました。2005年4月頃になると、嘔吐が目立ち始めました。華子はもともと嘔吐の多い猫でしたが、今までは消化できなかった固形物をもどしていただけだったのに、この頃になると消化された物体が逆流したかのような液体(茶色くて臭い)を吐くことが多くなりました。
 
それでも体重の減少が一段落し、嘔吐はあるものの日常生活は健康そのもので、吐く前後も辛そうなそぶりを見せません。その後病院に連れて行き、血液などによる検査の結果では「慢性腎不全」という診断でした。2週間ほど病院の指示に従い投薬、病人食を与えましたが嘔吐はひどくなる一方で、食欲も目に見えて落ちてきました。
投薬は華子に向いてない、結果がどうであれ華子に最もストレスを与えない方法で治療してみよう。そう考え、この時点で投薬による治療を打ち切り、食事についてIBD障害に有効とされる「ホリスティック治療(加工品を与えるのではなく自然素材を調理した食事療法)」に切り替えました。これは効果てきめんで、食事の量も増え嘔吐も収まりました(ホリスティック治療期間中の嘔吐は1度のみ)。今までは、たまに鶏肉や豚肉、魚介類を与えてはいたものの、ドライフード、猫缶を中心とした食生活です。これらはある部分では猫の体に配慮していますが、保存のための成分、また猫の食いつきを良くするための成分が含まれます。そういった成分が長い時間をかけて華子の体に蓄積したのかもしれません。人間だっていくら栄養価が高いとはいえ、サプリや缶詰だけで生活はできないと思います。ホリスティック治療は、猫はもともと狩猟生活を中心とした野生生物ですので(もとはすべての動物は野生ですが)猫本来のからだの仕組みにあった肉や魚を中心とした食事でバランスを保つ、といった考え方です。本来は生肉(鶏肉、馬肉がいいらしい)を与えるらしいのですが、今まで生肉を与えていなかった華子に突然生肉を与えるのには抵抗があり、茹でたものを中心に与えました。
それまで病院で処方してもらった食事にはまったく興味を示さず、無理にスポイトで与えなくては食べようとしませんでしたが、手作りによる自然食には興味を示し自力でものを食べるようになりました。ただ、水だけは自分で摂取する量では不足している(と思われる)ので、スポイトを使って飲ませました。華子を抱き上げ、ひざの上に乗せてスポイトで飲ませるのですが、いやがるそぶりも見せず、ごくり、と喉を動かして飲んでくれたので助かります。
今考えると、調子が悪くなるのにあわせ、食べ物の嗜好が変化したように思います。一時はやたら生肉を欲しがった時期があり、今までそんなことは一度も無かったのに、と不思議に思ったこともありました。
どうぶつは本能に従って行動しており、その本能は人間よりもずっと鋭いものです。ふだんと違う行動をとるとき、ふだんと違うたべものを欲しがるとき、きっとそこには理由があるのだと思います。
 
華子の調子が悪化すると同時に、もう一匹の猫、トマトは幼い子供がそうであるように病人が怖いのか華子に近づこうとしなくなりました。
 
ホリスティック治療をはじめて2週間ほどは平穏に過ぎましたが、そこから急激に症状が悪化しました。ほとんど寝て過ごすようになり、下半身が弱って歩くのもおぼつかなくなりました。それが上に記した息をひきとる3日前くらいです。
 
 


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